家庭内の第一言語と日本語教育
家庭内言語の選択
多言語のある家庭環境があり、バイリンガルあるいはトリリンガルの育児に成功するには、まずはじめに何より両親相互の理解が大切だと思います。片親が「自分が何を話しているのか分からないから、その言語で子供に話すのはちょっと・・・。」とか、「まずは、住んでいる場所で使われる言語を覚えるのが先じゃない?」という考えを持っていると、相当の覚悟と精神力がないと無理です。
私の場合は、この2つのどちらにも当てはまり、なおかつ自分の日本語がスラスラ出てこないという「必ず日本語で話しかけて、日本語で正しく応答する」には致命的な状態であったこと。それから、3歳になる年から幼稚園が始まり、地方言語で教育が行われるので、自分や伴侶の性格、それから子供の性格を考えたり、来たる日々のことを想像したりしました。最後には「自分が日本語しか話せないのに、よく理解できない言語環境に入れられて1日を楽しく過ごせるだろうか。」と自問しました。
今現在の子供の様子を見て、その自問した時のことを考えると、きっと子供はそんな心配もなく与えられた環境に溶け込むのだろうなと思いますが、入園した年の1年間、その次の1年間の生活を振り返ると、家庭内言語にこの地方の言語(父親の母語)を選択してよかったとほっとしました。それには色々理由があるわけですが、それは後々書くかもしれません。
なぜ日本語を話さないか?
子供が生まれる前は「絶対日本語を話す」と意気込んでいましたが、先に書いた理由によって、これではまともな日本語を「教える」前に「話せない」と思いました。あとは楽観的な理由から、私が大人になってから他言語を学んだように、本人が学びたいと思えばいつか自分で勉強するだろうと考えました。アクセントや日本語の含みなどを小さいころから学べないじゃないかという意見があったりするかもしれませんし、せっかく学べる環境があるのに教えないのはかわいそうと思われるかもしれませんが、そこまで日本語に固執する理由も私は持ち合わせていませんでした。「いつか日本語が役に立つかもしれない?」そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。
強い言語と弱い言語
かといって、日本語を教えることをあきらめたわけではありません。どんなことでも知らないより知っていたほうがいいと思います。普段の会話はほとんどが家庭内の第一言語として選択した地方言語、しょっちゅうその言語に混ざって出てくるのが国の公用語です。地方言語があってしかもそれでしか教育が行われないとすれば、皆地方言語を話すのだろうと思っていたら、大間違いでした。国の公用語が家庭内言語だという家族は、私の予想をはるかに上回って多いです。クラスの子が話すのを聞いて真似をするわけで、我が家の第一言語が脅かされていると言うと大げさに聞こえますが、第一印象はそうでした。
日本語と言えば、簡単なあいさつと私が言えば返してくるので一番弱い言語ですが、子供本人は日本語も自分の一部なのだということを理解してます。
アルファベットの次にひらがなを教えた
幼稚園ではアルファベットを昔のように表にして教えたりはしません。一つの文字がどんな音になるかということに重点を置いて、たとえば、C なら /k/ と /s/ の音を作ることができるという風に学んだようです。家では、ビデオを見てアルファベットの歌を一緒に歌ったりして、すべて文字を間違えずに言えて書ける状態になったときを待って、ひらがなを教え始めました。
絵本を読む、くり返し読む
日本から持ってきた絵本と言えば10冊にも満たないものですが、就学前になんどもなんども読んだのが、「ノンタン ほわ ほわ ほわわ」です。本の扱いもなにも、投げるわ、ひっぱるわでボロボロになってしまったこの本、何回読んだかわかりません。毎日、1日に2回は読んでいたと思います。
その次にお気に入りなのは「おおきなかぶ」です。これは寝る前にベッドの中で読みました。これも毎日です。もともと大人がやっているのを見ると自分にもやらせてと言う子で、こう毎日同じものを読んでいると「自分も読める!」と思うんだと思いますが、「うんとこしょ、どっこいしょ」と一緒に読む日が来たのはすぐだったと思います。
多言語教育の現在
「話せて書ける」のは、公用語と地方言語、「書けるが話さない」のは日本語です。今現在はカタカナを勉強中で、先日1年生で習う漢字の一覧を用意したら「漢字もやりたい」と言うので、同時進行でやっていくと思います。それから「話さないが分かる」のは英語です。これもまた後々書くかもしれません。